スペインの路地には必ず名前が付けられています。待ち合わせをする時は、○○通り○番のお店でと言われる事も多いのでいつもGoogle mapで道順を確認します。
何千、何万とあるCalle、いちいち覚えるのは億劫・・・と思っていましたが、名前の背景に歴史や言い伝えがある事を知ってからは興味を持って見ています。
以前から習いたかった陶芸。インターネットで教室を探した中で気に入ったのが ARTE HOYというTALLER(アトリエ)。そのTALLER、Tirso de molina駅近くCalle de la cabeza (あたま通り)と言う何とも奇妙な名前の付いた通りにありました。
このCalle de la cabeza、実は曰く付きの通りだったんです。
時は17世紀まで遡ります。
フィリペ三世が6年間都をMadridからValladolidに移していた頃の話。
現在は毎週末開かれる蚤の市Rastroで有名なこのbarrio、当時は牛や豚などの家畜の屠殺が行われ、肉や皮を買い求める人々で賑わった地域でした。
ある日、庶民の集まるこの地域には不釣合いな、立派な身なりの紳士が馬に乗ってやってきました。
紳士は、La plaza de Cascorroからcalle de la Ribera de Curtidores にかけて軒並み並ぶ肉屋や臓物屋の間を散策しているうちに羊の頭を食べたいという欲求に駆られました。
(スープなどにするのでしょうか、こちらでは、ウサギ、羊の頭も市場で購入できます)
ある小さな路地の臓物屋で、新鮮な羊の頭を紙に包んでもらい、目立たないようマントの下に隠して去っていきました。
ところが、数メートル進んだところで紳士は1組の役人に呼び止められます。彼の後ろには、包みから滴った血の跡がずっと続いており、怪しんだ役人は持っていた包みを開くよう命じました。
彼が包みを開くと、そこには羊の代わりに人間の頭が・・・・・
この不可解な出来事に、彼はどれだけ驚いた事でしょう。
懸命に経緯を説明をしますが、もちろん動かぬ証拠を目の前に役人は耳を貸しません。遂に男は殺人犯として牢屋に連れて行かれてしまいました。
この出来事から数年、遡ること1603年、男はは貧しく、Don Gilという司祭の下、助手として仕えていました。
家政婦をつけ裕福な生活をしていた司祭は欲に目がくらみ、金銭の事や教会に隠されているとされる財宝の事しか頭にありません。
ある夜、強欲な司祭に心底腹を立てた男は、司祭と二人きりで話し合いを持ちます。しかし話し合いは口論へと発展、彼は逆上し司祭の首を切り落としてしまいました。
同じ夜、司祭の隠し持っていた宝石や、金貨など価値のある物を全て持ち、男はポルトガルのリスボンへと逃亡したのでした。
リスボンでの数年、ある程度の富を築いた彼は故郷マドリッドに戻ります。そして、過去の罪を不思議な形で暴かれ、逮捕されたのでした。
逮捕から数日後、男は犯した罪を償うべくPlaza de Mayorにて縛り首の刑にされました。
そして男の処刑後、いつの間にか首は元の羊へと戻っていたのでした。
この奇妙な出来事を耳にしたフィリぺ3世は直々に、その羊の首を殺害されたDon Gilの家の前の石の上に掲げるよう言い渡しました。その家のある通りは人々からCapilla de la cabeza(頭の祭壇)と呼ばれるようになります。それを嫌がった周囲の住人の要望により、しばらくしてから首は取り払われたのでした。
その後、通りは正式にCalle de la cabezaと名付けられます。
幽霊が出ると市民はこの通りに近付くのを怖がり、店を構えていた何軒もの臓物屋はこの不吉な通りから立ち退き、La Ribera de Curtidores 又は、la calle de Arganzuelaと移っていきました。
それから約400年後、現在私はその通りで陶芸を習っています。
大通りからも外れ、いくつかのレストランと住居があるだけで肉屋、臓物屋は一軒も見当たりません。
でもひとつだけ、当時の出来事を語る物があります。
隠すように置かれいるので、見逃さないようにしっかり探してくださいね。
念のため、体から離れた頭を持ち歩くのはやめておいて下さい。
写真:見えにくいかもしれませんが、石の上に置かれたDon Gilの首と、血の滴る羊の首が描かれています。
生々しい・・・
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